三次市の奥田元宋美術館の茶室「待月庵」での茶会です。
武家茶、上田宗箇流の点前がめずらしいとはいわれますが、どちらかというとその道具組の加減が絶妙なんだと思っています。
みなさま、ほどよく喜んでいただき、ありがたいことです。お客様の笑顔が活力の源です。
そんな中、インドネシアからお越しの日本語で流暢に話しかけてくださる女性が、掛軸の「即今只今」の説明をいたしましたらえらく感動されて、最後の席ではありましたがずいぶんと話に花が咲き延長戦。
こちらの茶室、美術館全体を設計した設計事務所の図面によるものなので(笑)、もちろん茶の湯のことも知らずにつくっていただき、なんかこういう感じかしら?とトンチンカンな茶室に仕上がってます。「茶室には使い方の決まりごとがある」と昔から云われてるのに、それをだれもまとめようとはしないので、結局はこんな使い物にならない茶室が日本全国津々浦々建てられてる現状には笑うしかありません。みなさん一級建築士というとても難しい試験に合格したエリート揃いなんですけどね。
それでもなんとか使ってしまうのが、茶人たちのすごいところで、そんな様子を見て、我ながら良い茶室を作ってしまったと悦に入り、性懲りなく悪循環。
ものすごく簡単に説明しますと、どこで点前をして、客はどこから入り、どこに座るのか。いつも茶席のパターンが同じだとおもしろくないので、いくつかを想定して、それぞれができるように設計していくことが求められます。それを支える水屋もちゃんと連動できるように。水屋での作業は、道具の準備、菓子の準備、陰点て、洗い、道具の収納とかいろいろありますので、それらができるように。茶室を作るなら、正午の茶事がしたいですよね。
でも本当はそんなに難しいことではないんです。茶の湯には決まりごとがある、ということは、もう決まっててそんなに大きく変えることがないんです。ひとそれぞれのオリジナリティとかは求められてなくて、パターンなんです。だから、容易に対応可能。それが出来ないということは、、、怠慢でしかないですね。
それはさておき、無事に終わり、すこし時間もあるので企画展を見て回り、ベンチに腰かけて水面に映る空と森を眺めながらたたずむひととき。右下の写真です。これはかなりハイレベルで贅沢な幸福感。この風景を独り占めしてしまっている優越感。
昨夜も田仲先生を迎えて話しましたが、山間部で花鳥風月を愛しながら暮らす茶人としての生き方は、指針のない自分の感性で良いと思ったことを良しとしないとなにも進まなくて、テレビでやってたとか、みんなが良いって言ってたとか、そういうのがなくても自分なりの価値基準を持ってくのは、それなりに厳しいところもあります。
さあ、明日もがんばります!